続、質の指標、云々かんぬん

前回の記事ではTB打ってなかったんですが、反応いただいたのであらためて前回記事からTB打ちました。

さてTBいただいたのはいいのですが、コメント含めすごい量になってますねぇ。
引用順序は多少前後しますが、ご容赦ください。

まずはここから

僕が「自分にとって重要かどうかをコンピューターが判断してくれるとありがたい」と思っているとどこから判断されたのか、また、どこで「数で量ること」に「嫌悪感を示した」と判断されたのかよく分からないのですが、

「自分にとって重要かどうかをコンピューターが判断してくれるとありがたい」。これをおもったのは下の文です。

ユーザー数を度外視して、はてなブックマークにつけられたコメントやタグの内容自体を見るとき、記事を読む前の段階でも、その内容がどんなものかが判断できてしまうことは多いと思います。

へぇ、記事を読む前にコメントを読んで、見るかor見ないを判断するんだぁ(感嘆)。と、そんなことをする人は効率的に記事を読むというところによほど問題意識を感じているんだろうなぁとおもいました。それが自分にとって重要かどうかをコンピューターが判断してくれるとありがたいなぁ(= 効率的に記事を読めればいいなぁ)につながります。主観です。
でも「判断できてしまうことは多いと思います」ということは思うだけでされてないのかもしれません。だとすれば誤読です。

嫌悪感については私が前回、引用した部分です。

結局数で判断するのか、と思うわけです。

以前、定量化という事にばかり関わる仕事をしてました。だからすこし敏感だったのでしょう。数にするのは大変なんだよって思いました。主観です。
もし嫌悪感とか抱かれてないのであれば気にしないでください。


さて最初にもどって、以下の部分

文学の点数化アンケートを日本の20歳以上の男女に答えてもらうとして、出てきた平均値なり偏差値なりをその文学の「質」とみなしてしまうことは確かにできるとは思います。できるとは思いますが、そうして出てきた数字を文学の「質」とみなすことに意義があるとは僕には思えません。

 「むしろ数以外の何で判断するのかと問いたいわけです」とtinsep19さんはおっしゃっていますが、tinsep19さんは文学作品の「質」を評価するときも上記のように数値化された「質」で判断するのでしょうか。ちょっと疑問です。

僕がまだ読んだことがなければ、点数高い順に読むのが効率よいと判断します。ここで「点数高い順に読むのが効率よい」と思うのは僕の主観ですが、アンケートの結果の点数には僕の主観は入っていませんから質をあらわす客観的な指標として十分機能しています。

ただし、もしすべて読んでいたとしたら、例えば人に薦めるときの順序に変化が生じるでしょう。自分の順序が平均と同じであれば、自信をもって薦めますし、少し違えば、ちょっと自信無さげに薦めるでしょう。僕は自分の価値観が絶対だなんて力強く言える程、自分の評価を信じることができません。

結局、自分の主観とアンケートの平均による指標を混ぜて判断しています。前回、質とはいくつかの指標を総合的に判断するものと書きましたがそれと一緒ですね。

プログラム的に書くと以下のような感じでしょうか。(客観と主観の比率が1:1なのとかつっこまないでね)

 主観 = (主観 + 客観) / 2

上の式を書いていて思ったのですが主観とは自分の持たない評価軸を受け入れることができる可変なものですね。

また、tinsep19さんは「評価基準が存在しないのに数値化することは不可能ですよね。不特定多数だろうが少数だろうが関係ないです。客観も主観も関係ないです」とおっしゃっておられますが、では特定の評価基準のないはてなブックマークがユーザー数として数値化できてしまっているのはどういうことなのでしょうか。

これに対しては前回書いたことで回答にならないでしょうか?

ただし指標は発明するものです。被ブックマーク数というのは、SBM考えたひとが発明した数です。それを質の一つの指標にしようと声高にいったのがtomoさんです。

コメントの部分に飛びますが、

アクセス数という単なる数字では「質」を評価するための指標として不足であるということで、はてブの有用性が例に出されているわけですが、その結論が「Blogを評価するのも、アクセス数という『量』よりもSBMのブックマーク数という『質』にシフトする時代が、もうすぐ来るだろう」となっているのがおかしいと思うのです。ブックマーク「数」=「質」であるとする考えと、アクセス「数」=「質」であるとする考えにどれほどの差があるのかが僕には分からないのです。「結局数で判断するのか」と書いたのはそういう意味で、はてブのユーザー数だって「質」の評価基準のひとつになり得るというのであれば、あの記事の結論はまったく不要だったことになります。

アクセス数も一定期間はそれなりに有効にはたらいた。でも新技術(SBM)があらわれて質をあらわすものが被ブックマーク数に移行していった(tomo案)。でもユーザーの行動スタイルやユーザー層自体が変化して被ブックマーク数ではないところに移動するのではないか?でも、そもそも「数」=「質」となるような指標なんて作れっこないよというところにいきついてしまったのがAkkyさんということですね。

SBMのコメント欄化によって、以前のSBMにくらべて使い方が変化してきているという主張は理解できます。だからブックマーク数から他のものに移行すべき。というのであればわかります。しかし、そもそもそんな指標無いよというのは行きすぎです。

たとえば被ブックマーク数という数が、質を量る上でそんなに重要ではない指標だとしても、数である被ブックマーク数に、いろんな操作(演算)ができるようになります。

今思いつく範囲でそれなりに指標として機能しそうなものでいえば、非ブックマーク数におけるコメント率とか。他の数、例えばページビューと組み合せて、ブックマーク数/ページビューとか、一日の総ブックマーク数における割合とかも指標としては、なかなかおもしろそうです。

数に嫌悪感を示されていると受けとったのは非ブックマーク数から行えるこういった操作すべてを否定されているような気がしたからというのもあるかもしれません。それは被ブックマーク数の次の候補がすべて否定されていることに起因します。

結局、「数」=「質」は無理かもしれないけど、そうなるようにがんばってるやつはいるんだよ。ってことです。生産性向上とか、見える化とかしてる人はいつでもこんなことを考えてるんだから。

なんか「質」とは関係ないところになってしまった。とはいってもほとんどはコメントでフォローしてもらっているのよね。