設計者から利用者へ引き継がれる部分もものづくり
もうずいぶん前の福耳先生のエントリー
たとえ自然と窪んだ石であっても、その凹みに液体を溜められる機能を意識化してからは、それはもちろん素材としては石のままですが、認識としてはコップになるのではない?
(中略)
つまりモノのすがたかたちが設計図から素材へ情報として転写されるのみならず、それが消費者に「コップとして使ってね」という設計意図として感じられるように伝わるからこそ、コップはコップなんであって、つまりコップというのは実体として実在する以前に「そこに液体を包容する容器」というコンセプトが消費者に共有されているということが前提なのでありますのは、拙ブログでもかねがね主張してきた通りでございます。
こういう意識の転換についてはもう慣れてきたとおもっているので確認がてらTB送ってみる。
例えば、上記の例についてはこの写真がわかりやすいんじゃないだろうか?
画像の葉っぱが傘に見えるだろうか?
見えるのであれば、今後、葉っぱをみれば傘として認識できるだろう。
設計者の意図が伝わって、あなたの頭の中で、葉っぱという素材に傘というコンセプトが転写された。(転写する道具として質問文と画像を使ったつもり)
設計情報転写理論でも充分説明できてるとおもってる。
このエントリで微妙なのは、最初に意識できるかどうかは発明であるからで、ものづくりではないからだ。葉っぱを傘に使えるかもと思ったら、それは発明。それをこんな使い方できるよと伝えるのは設計情報の転写であり、ものづくりの範疇。
たとえば、引用されている、この部分。
しかし、くぼみのある石を持ってきてこれで水を飲めといわれたら、その石をコップとは呼ばないだろう。
コップではないが、水を飲む道具としては利用方法(これも設計情報)が伝えられている。
千利休がこの石に茶を注いだら、他の人は茶器として認識するだろう。
これを茶器にしようとおもいつく、それは発明。でも伝えるのはものづくり。
そういうことかなと理解している。