キャラクターメーカー


キャラクターはどうやってつくればよいかが書かれている。特徴的なのは第1章でキャラクターの特徴なんてサイコロで決めてしまえばいい。というところからスタートするのだが章を経るにつれ、キャラクターにどんな要素が必要なのかというのをワークショップを交えて説明してくれる。

ハリウッド映画では観客は主人公目線ではなく、バディという役割の人の視線ですすむことが多い。とか。

キャラクターをつくっても主人公は基本受身で動き出そうとしない。そういう時には主人公の家族を奪ったり、過剰な能力をあたえたりというバランスを壊す作用で主人公を動かす。とか。

あとは豆知識としては「アバター」という言葉がルーカスフィルムの始めたチャットサービスから始まったとか。

別に僕は小説家希望とかシナリオライター希望とかじゃないけど、単純におもしろい。

そしてジブリ博物館には特別なシナリオの隣のトトロがみれると聞いてびっくり。一人乗りの猫バスにメイがのるらしい。

さて、この本の中で何度か東浩紀の名前がでてくる。ちょうど最近その東浩紀の本を読んだので、つながった。

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

「キャラクター順列組み合わせ説はインターネット以後のポストモダンの出来事ではない」といっていて東浩紀の名前をだし、そこから手塚治虫の話につづく。キャラクターの髪とか目とかすべてパーツとしてみて、その組み合わせでキャラクターをつくっているんだというようなこと。

なんだけど、ちょっと違和感を感じた。「ゲーム的...」の中で東はそういう順列組み合わせの中のいくつかは既に行動原理が確立され、そして読者と共有されており、著者はその確立された組み合わせを戦略的に選ぶし、読者もそれを暗黙的に期待しているということを書いていたと僕は理解したのだけど、ここでは組み合わせという方法自体は珍しくないよと書いていて、ちょっとずれているなぁと思った。

ただこの本では「ゲーム的...」ではなく「動物化するポストモダン」の方があがっているので、この本がかかれたときはまだ読んでない状態だったのかもしれない。