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中国はフォトショップデザインで町ができた。

タイトルは入院中によんだ中央公論の中の「ドバイは国全部がゴミの山みたいなもんですよ」の中の磯崎新の言葉。

中央公論 2008年 11月号 [雑誌]

中央公論 2008年 11月号 [雑誌]

中国の建築の方法について

で、しかも今の中国の場合は、ものすごい量をスピーディーにこなさないといけない。普通なら10年かかる建物を1週間で設計するとか(笑)しかもクライアントからは「隣と同じものはやるな。変えろ!といわれる。みんな困るわけね。

それで、「フォトショップ」っていうコンピューターのソフトがあるじゃない。中国の建築家はまずフォトショップのテクニックを覚える。そして全世界から建築雑誌やら何やら資料を集める。で、それをテーブルの下でちらっと見ながら、いくつかスキャンするわけね。で、フォトショップで数種類をコラージュしていくわけですよ。そうすると「どこかで見たことあるけど、ちょっと違う」という建物がどんどんできるわけ。(笑)

と説明し、それを称してタイトルの言葉「中国はフォトショップデザインで町ができた。」をあるシンポジウムでいったそうな。

さらに続いて

近代の大量生産によるリピートではなく、コピーするという事によるイメージのリピートです。本質的な違いがどこかで出てくるんだと思うんです。

と手法について肯定的にとらえる。

なぜ、この部分に目が止まったかだけど、一つはちょうど入院中によんだ「コンテンツの思想」で同じような話があったこと。

コンテンツの思想のなかでこんな一説があって、

実写映画でなぜ編集が可能なのかと言えば、つまり、作品よりも世界そのもののほうが豊かだからです。でもアニメというのは、隅から隅まですべてコントロールできる世界じゃないですか。言い換えれば、素材と最終的な携帯が同じくらいの集合なんですよね。(中略)

星の声はオープニングでも予告編でもいいけれど、フォトショップで作った映像の断片が大量にあって、その一部をつまんで作るという方法論になっている。つまり新海さんのHDDのなかに別の「世界」があってあるわけです。僕は「まんが、アニメ的リアリズム」というのは本当はこういうものだと思う。

片方はアニメの制作手法で、片方は建築だけど、データベースがあってそれを組み合わせて何かをつくるというのは似ているし、これが個人が大量に何かをつくらなければならないという背景も似ている。

もうひとつはうちの会社がやってる「インフィル」はこういうフォトショップデザインみたいのをたぶん志向してるんじゃないかとおもうからだけど、でもその本質として、これらの共通部分で無い部分になにか参考にすることが隠されているんだとおもうのだ。