運に選ばれる人 選ばれない人を読んだ。
著者の桜井章一さんは雀鬼流麻雀道場を開いている。道場とあるとおり、いわゆる雀荘とは違う。道を麻雀を通して伝えていく活動と捉える方が正しいと思う。

ここで雀鬼流の話をしてもしょうがないけど、雀鬼流の雰囲気が一番伝わっていそうなのは近代麻雀ゴールド連載中のコラム「牌の音に還る」(安田潤二)が一番だと思う。

で、本に戻るけど哲学書というのが一番正しい表現だと思う。いい言葉、表現が凄くたくさんあるが、その中でも一番気になった言葉を。

不安や迷いの原因は、「感激」、「感動」、「感謝」が足りないことだ。
...(中略)

それにしてもここまで日本人は感動に飢えているのかと言いたくなります。感動を与えてもらいたいほど感動のない生活をしているということかもしれません。しかし感動は与えられるものではなく、みずから動いてつくっていく積極的なものであるはずです。何かを感じて動くことで湧いてくるものです。感動はひとから簡単にあたえられるほど安直なものではないのです。

不安や迷いが消えたわけではないが、日記を書きはじめたことで、この言葉がわかる部分がある。
何か感じて日記に書くことによっていろんな感動を覚えたいという欲求がでてきて、その為に積極的に動こうという思いがでてきている。

日記を最初書きはじめるときは、やはりblogのようなものを意識したり、もっと面白いことを書かなくちゃみたいな強迫観念があったことは確かだけど、それを意識すると全然書けない。この日記も最初の頃は更新頻度が月4回あればよいほうだった。

年始に今まで書いた日記を確認して、あまりの少なさに今年の目標をとりあえず100日と決めて、「とりあえず書くこと」を目標にしたのが良かったのか、自分が思う以上に今書けている(品質はともかく)。実際日記の分量もちょっとずつ増えてると思う。

書くことに重点を置くと、日々の生活の中のいろんなものに目が向くようになってくる。ちょっとしたことにも変化を見つけ出せるようになってこないと日記が書けないからというのが理由だけど、見つけ出せるようになるとと日記を書くのが楽しくなる。変化が新鮮味や感動だともっと嬉しい。今は積極的に変化を見つけようとしていると思っている自分がいて、良い循環が自分の中でできはじめていると思う。

麻雀の話はでてこないので、興味を持った人は読んでみてください。