発信するのは空気が熟成するのを待つため、実行しろは正しいかもしれないけど
コンテキストを簡単に、申請とか承認とか形骸化しているものあるよね。ってことに対して、下記のようなコメントがあり、それへの返信を書こうとしてあまりに後ろ向きとおもったのでこちらにかくことにした。
> もっとエンジニアが「それ意味ないよね?」を
> 発信しないといけないんじゃないですかね?
一部は文化の問題だからこそ、「発信」の意義があるのだとおもいます。
「ルールは変えることができる」は正しいし、おそらくそうだとおもいます。また「発信しつづけること」自体は継続的にできます。
しかし、実際には周りからの協力(が得られる確信)がなければ、推進することは難しいとおもいます。
1. 発信することで空気を熟成し、機をみる方法
- 現在権限のある人が同志となる
- 自分や同志の人が偉くなる
- 時間を置くことで年齢分布など構成要素が変わる
2. 反対(むしろ反対よりも無関心や消極的)を押し切って今、強力に推進する方法
の2つを比べた場合、「例外的に処理することでとりあえず凌ぐ」が行えれば、通常は前者を選択すると思います。
機や確信というのは個人が受け取るニュアンスの問題で、例えば上司にこうしたほうがよいといったときに
A. 「たしかにそうだ、俺がやるから、困ったときにはサポートしてくれ」
B. 「たしかにそう思う。サポートするからすすめてくれ」
どういう印象を受け取るかだとおもうんです。
ある程度自信や基礎となる責任や権限があるのであればA, Bどちらも肯定的にうけとれますが、自分で推進する自信がないときや、責任や権限がたりないときにはA,Bは違います。
「こうしたほうがいいからそのようにしたい。この部分がたりないから、こういう協力をしてほしい。」と頼むべきだという声もあるとおもいますが、YES/NOの返事をまだもらいたくないときもあるのです。
なぜ実行しないのですか?なんていう反語的なコメントをいただくこともあります。
これはトレンドで、自分としては早くトレンドに乗りたいけど、いづれそうなるし、それを待つ時間や余裕も自分にはあるという状況はあるのです。